PROFILE
悩める栄養士の小さな部屋の管理人の美果沙です。
病院や施設を複数渡り歩き、栄養士、管理栄養士として20年以上の経験あり。
取得している資格のうち、主なものは、管理栄養士、介護支援専門員、フードコーディネーター1級(商品開発)です。
栄養士、管理栄養士の労働条件はお世辞にも良いとは言えず、給料が安い割に重労働、責任を負わされるといった残念な現実が多々あります。
それは、栄養士や管理栄養士の社会的地位が低いが故です。
人の定着も悪く、仕事がきつくて人間関係が劣悪という理由で辞めるケースが多いです。
中には栄養士としての道を進むのが嫌になってしまうことも…
世の中意地悪な先輩がいるのも事実ですが、虐めてないしちゃんと仕事を教えているのに、一人前にならないうちに辞めてしまう人も少なくありません。
現実に愕然とした気持ちは分からないのですが、ツライのは特に最初の時。
「ツライ…」「パワハラされた…」
愚痴を言って逃げることは簡単なこと。
確かに栄養士は社会的地位も低く、苦労が多いわりには低収入。
でも、泣き言を言ってもなにも始まりません。
生きていく上で食と栄養は切っても切り離せないものです。
栄養学は生活習慣病を予防することによって人を「寝たきり」という不幸な老後から救うことが出来る専門領域です。
現実は厳しい…、でも、栄養士は方向性が沢山あるので、自分のなりたい栄養士像を築き上げることが出来るのです。
それには栄養士や管理栄養士が世の人々にとって役に立つ存在になることです。
「老後を自立した生活を送れる」ためには、栄養士や管理栄養士のサポートが大きいものです。
私も含めてですが、日々学びを積み重ね、人の役に立てる栄養士・管理栄養士を目指しましょう。
お問い合わせはCONTACT FOAMからお願いします。
実績
取得資格
- 管理栄養士
- 介護支援専門員
- フードコーディネーター1級(商品開発)
- マクロビフードコンシェルジェ
職歴
- 病院
- 福祉施設(特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、介護療養型施設)
- 食品会社
スキル
- 給食管理
- メニュープランニング
- 調理
- 栄養指導
- 栄養管理
- 栄養ケアマネジメント
- 栄養部門統括
STORY
栄養士になりたいと思ったきっけかは?
- 美容やダイエットに興味がある。
- 身内で糖尿病に罹っている人がいて、食事療法に関心がある。
- 料理が好き。
- 食べる事が好き。
- 病院で働く栄養士に憧れている。
- 栄養指導をしてみたい。
- 将来的に料理教室を開きたい。
- 誰か(親等)に勧められた。
- 何となく…
その動機はそれぞれだと思います。
「臨床栄養を実践したい」という意識高い系の人もいますが…
私は至って「意識低い系」です(笑)
そのきっかけとは「食べることが大好き」ですから…
一昔前は栄養士というと「給食のおばさん」と混同されていました。
かくゆう私も子供の頃は「栄養士=給食のおばさん」というイメージがあり、小学校の朝礼の時に栄養士の話があった記憶があるのですが、とても影の薄い存在という印象がありました。
食に関する資格と言えば寧ろ「調理師」の方が存在感あります。
私は元々「調理師」になりたかったクチですが、病院に勤務している人からのある一言で「栄養士」を目指そうと思ったのです。
「病院の栄養士は楽だよ。どうせ資格を持つなら栄養士の方がいいよ。」
国家資格を持っていて「仕事が楽」、資格を持っているということは給料もそれなりにいいだろうし、短期大学の栄養学科と言えば割とハードルが低いからこれは美味しい…
そこには何故か「臨床現場で働く栄養士の姿」をイメージしたのでした。
動機は至って邪です。(笑)
そして、受験もめでたく合格して栄養士の卵の道を歩き始めるところでした。
大学生というと私の中では夜遊びやコンパ、ボーリングやカラオケでひたすら遊ぶというイメージばかり浮かんでいました。
同じキャンパス内には高校時代からの友達もいるし、その友達と同じサークルに入ったから高校時代の楽しいノリをそのまま続けるられるだろう♪
こんな風に恥ずかしい位めちゃめちゃ「意識低い系」の人間でした。
しかし、入学1ヶ月後
私の期待は180度覆されました…
当時私は下宿をしていたのですが、その下宿先の人間関係は希薄であり、仲間と集まったり遊びに行くということとは全然程遠い世界でした。
更に、学校での実験実習は地獄でしたね。
自分の学科の講師や助手達はきつい人ばかり…
実験や実習中に目を光らせて、少しでも間違いを見つけるとネチネチときついことを言われます。
実験実習の後には必ずレポートがあり、このレポートの文字や数字、句読点等の記号の漏れや間違いをくまなく細かくチェックして、その間違いにブスっとした表情で
「ここ、間違っているでしょ?この位ちゃんとやってよね!」
虐めのようなものですよ。。。
実験実習が複数ある上にどのレポートも非常に細かいチェックが入るので、日々レポート作成に追われる状態です。
嫌なら放棄すればいい話ですが、、、ここで放棄したら養成施設校に進学した意味がありません。
我慢しかないのか…
しかし、この嫌な講師が実験実習を担当するのは1年目のみ。
2年目になれば郊外実習はあるけど嫌な講師と関わらなくて済む!
それからあの牢獄みたいな下宿先とはおさらばしたいと親を説得して下宿先を変え、新たに2年目が始まったのです。
新しい下宿先ではメンバーが温かく受け容れてくれ、初対面の時には笑顔で「宜しくお願いします」とお互い挨拶をしました。
下宿先で知り合った子達との交流もあり、時々部屋に集まって鍋パーティーをしていました。
学校では新しく友達が出来、忙しい時間の合間を縫っては温泉や旅行に行って楽しんでいました。
郊外実習は社員食堂と病院を経験し、社員食堂は肉体的にハードだけどそこで働いているパートのおばちゃん達は優しかったです。
ただ、病院は課題があってハードでした。
病院の栄養士は献立、栄養指導、病棟業務…かな?
ところが指示された言葉は「現場に入って」でした。
しかも、病棟に訪問したのは栄養指導の実習の時のみ。
当時は「栄養士の仕事ってそういうものなのか…」と思った程度でした。
まだまだ、学生生活を楽しみたいけど、時は流れるもの
この頃は就職難に突入した時代であり、就職先が中々見つからない上に求人倍率が多い状態でした。
そんな時代でしたが、資格を持っている(取得見込み)ことが幸いして卒業後の就職先が決まりました。
しかし…
就職先はしょっぱなブラック企業でした。
それは給食委託会社ではなく、一般企業です。
何かとクセのある人が多い職場であり、社内では平気で不倫があるのです。
もっと最悪なのは直属の上司でした。
その上司は学歴コンプレックスを持つひねくれ者のごうつくババアであり、資格を取得して入社した私のことが面白くなかったのです。
ただでも気難しい雰囲気なのに話しかけても無視するし、挨拶しても返してもらえません。
仕事は私に一切教えず、与えられる仕事は雑用ばかりでした。
この会社では少数ながら私の理解者がいて、そのスタッフは私の苦労を分かってくれていました。
ところが、私の理解者である人達が次々と退職してしまい、私はこの会社に居所がなく転職に向けての行動をはじめました。
そして上司の嫌がらせは暴言は日々日々エスカレートし、私に対する事実無根の中傷をしては他の社員に言いふらしまくっていました。
その内容とは…
「ねえねえ、あの子ねえ、本社の常務に『私の給料上げて下さい』って言ってたわよ!」
「あの子は上手い口車で男性を騙して平気でお金を巻き上げているわよ!」
何の根拠もないことですが、これが原因で私は他の社員からも嫌な目で見られていました。
更にその上司は私のちょっとした仕草を見るだけでムキーっとするんですね…
だから「何もやっても気に食わない」し、そもそも「私の存在自体を否定」なのです。
そんな状況の中、ようやく次の就職先が決まりました。
次の就職先は給食委託会社でした。
当時は「給食委託会社はブラック企業だ」という噂はそれほど流れていない時代でした。
勤務時間は不規則になるけど栄養士としてのキャリアを積む機会だと思ったのですが…
- 仕事をまともに教えてもらっていないのに早番をいきなり一人でやらされる。
- 「そんな仕事ぶりじゃ後輩に追い抜かれるぞ!」
- 休みの日に自宅に暴言じみた電話。
- 事務業務を与えられていないのに、何故か職員食のプラス一品の献立を考えさせられた。(しかも、その為の食材発注は一切なされていない)
- 「ぼっと突っ立っていないでやれよ!」と暴言を吐かれた。
まさに、匿名サイトに書かれているような事ですが、これは私が本当に体験したことです。
この委託会社で複数ヶ所の事業所を経験し、一番最後に勤めた事業所に慣れはじめて仕事もだいぶ早くこなせるようになった時にマネージャーに〇〇という事業所に〇月〇日に伺ってくださいと言われました。
当日、マネージャーから言われた言葉は、
「都内の病院に転勤してください。さもないと…クビですよ。」
…だったのです。
せっかく仕事も慣れて調理員とも溶け込んできたのに…
今まで一生懸命頑張って来たのに、これにはやるせなくなりました。
そして残念なのは私だけではなく、私によくしてくれた調理員からも「残ってもらいたかった」とのことだったのですが、退職とともにその事業所を泣く泣く去るしかありませんでした。
それから二度と給食委託会社に就職することはありませんでした。
数ヶ月後、病院のスタッフとして調理員の募集がありました。
その病院に応募し、栄養士の資格があることが幸いして内定をもらったのですが…
この病院も負けずにブラックでした。
とにかく職員の質が酷くて、人の噂話や揚げ足取りが横行しており、患者様の為に医療を施すといった姿勢が一切見られない酷い病院でした。
だったら辞めればいいじゃん?
ということですが…
私が応募したこの求人はヘルパーや看護師等一度に10人近くのスタッフを募集していたのです。
ところが、私ともう一人のスタッフを除くメンバーは1ヶ月もしないうちに退職。
それだけ酷かったということなんでしょうが、私はこの時点でかなり転職回数が多かったので仕方なしに続けていました。
しかし、栄養部門も酷い人間関係だったのです。
その栄養部門の課長は部署内では女王様で、私はここでも上司の目の仇にされました。
しかも、その職場で働く調理員も負けずに意地悪です。
唯一先輩にあたる栄養士がきちんと仕事を教えてくれました。
その栄養士は割と他のスタッフから可愛がられていたのですが、一方私は、受け容れてもらえませんでしたね。
調理員に野菜の切り方を聞いても…
「切るんだよ」の返答のみ。
また、違う調理員は一度仕事にキリをつけた時点で「だからそれはこうじゃなくって」と仕事のやり直しを要求。
課長はというと
「早くやって!」
不慣れだという弱味に付け込んで怒鳴りつけます。
この課長は人の人格否定が著しく「好きな異性のタイプ」をしつこくきいてきたり、「給料を何に使っている」のかを聞いてきます。
そして私の言動に全て「せせら笑い」
私の仕事に全てと言っていい程「間違っている!」
この病院の厨房では栄養士のノルマが厳しく、厨房に入れば必然的に主菜(メインディッシュ)の調理をやらされる挙句、人間ドックの食事準備、作業動線の悪い中での電話応対、医師に提供する付加食や果物の準備、食材の納品対応までもこなさなければなりません。
一方調理員はというと正職員にも関わらず、人間ドックや電話、納品、医師の果物の準備はやらなくてもいいのです。
慣れないのに一度に3つも4つもの仕事をこなさなければならないので、とにかくテンパります。
こんな状況ではミスをおこしやすいし、頭真っ白でした。
これに加えて上司の怒鳴り付けや調理員のネチっこい嫌がらせの中で仕事をやっていくのです。
自信喪失するし、この病院を辞めたいけど辞めたら更に履歴書に傷が入るし、とにかく葛藤の日々でした。
私は能力がない。
私の考えは間違っている。
このように自分を否定することしか出来ませんでした。
しかし、どん底になっていた私を救ってくれる人との出会いがあったのです。
その人は管理栄養士ではないけど、長年複数の事業所で栄養士としてキャリアを積み重ねた人でした。
その栄養士は私が入職した1年少し後に入職し、栄養課の主任として従事しました。
ある日、課長が主任を目の前に私の作成した献立を見てボロカスに暴言を吐きました。
「この献立おかしいわ!」
「こことこことこことここ!卵の使い過ぎ!」
筋を通して立てた献立なのに全て否定でした。
課長が去ったあと主任は課長の言動に対し
「あの人(課長)の言ってることは偏見でしょうな。この献立は卵料理の組み方だって間違っていないし、栄養バランスもいいし彩りも良いいい献立だよ。貴方、自分の仕事に自信を持ちなさい。」
そして主任は私の現場の動きにおいても「良い動きをしている」と褒めて下さったのです。
私はこの主任栄養士から豊富なバリエーションの献立や料理を美味しく盛り付ける方法等の調理全般を教えてもらったり、栄養指導のパンフレットも頂いて「これに基づくと栄養指導が出来るようになるよ」とアドバイスを受けました。
ある時、私は管理栄養士の国家試験を受けることを決心しました。
栄養士として4、5年経った時ですが、管理栄養士を取得すれば栄養指導の仕事を与えられるし栄養士より優遇されることから挑戦しました。
しかし、私の受けた年度は一気に国家試験の難易度が上がり、その少し前からも管理栄養士養成施設校を卒業した人でさえも落とされる門戸の狭いものでした。
その難しさは過去問の比ではなく、短大卒で全科目受験というハンデのある私は…
これでは落ちたも同然…
恐ろしくて答え合わせもしませんでした。
ところが、幸いにして私は合格したのです。
しかし、この病院は翌年度に厨房を業務委託化することによって私は一旦退職することにしました。
次に見つけた所も病院で、管理栄養士として栄養課の責任者として従事することとなりました。
これまでの経験を活かし、杜撰な帳票類を整備して献立も新しいものを導入し、厨房業務においては調理員と共に前向きに取り組みました。
そして、栄養指導も業務の一貫なので、これまで指導を受けてきたことを活かして仕事に望みました。
しかし、この栄養課に所属する栄養士は、実はとんでもない曲者でしたたかな女だったのです。
この栄養士からの失礼極まりない言動にはムカつくものがあり「人の間違いを蔑むように笑うのは不快だからやめてほしい」と言ったことがありました。
こいつは私のこのような注意を受けると涙を流して「私は酷いことをしてしまった…」と深い反省の意を見せつけます。
しかし、仏の顔も三度まで。
この栄養士は何年働いても進歩がなく、年中仕事を間違えていて本当に能力のない人でした。
こいつがいなくなればこの病院は平和になる…
案の上、このアホな栄養士は退職に至ったのですが、更にこの後に厄介な出来事に遭遇します。
このアホ栄養士は事務長と愛人関係がある人でした。
このアホ栄養士が辞めたことによって私を辞めさせようとしてもクビには出来ませんでした。
私が正職員でクビにすることが出来ないという理由もあったのですが、アホ栄養士がいなくても栄養課は正式に運営されていることが勤務簿に証拠として残っています。
事務長は自分の権限を振りかざし、調理スタッフのうち自分にとって都合の悪いスタッフをクビにし、その代わり事務所の要らないスタッフを栄養課に送り込み、私に働きにくい環境を与えたのです。
しかも、アホ栄養士の後任を雇わずに。
私はこの職場環境の悪さから退職せざるを得ない状況に追い込まれ、退職の意を示しました。
ただ、この病院での私の評判は決して悪くはありませんでした。
調理スタッフだけではなく、看護師やヘルパーからも
「貴方が辞めると聞いて皆が惜しんでいるわよ」
と言ってくれました。
「事務長にあんな仕打ちをされなければ私はここを続けていきたかった」
このように言葉を交わしました。
そして意外だったのが
「あの栄養指導、好評だったのに…」
私は栄養指導業務は決して向いている方だと自分では思っていなく、話術力も長けてる方ではないので、この言葉は心外でした。
実は栄養指導によって血液検査等のデータが改善されてたことから「好評」と評価されていたのです。
この病院を辞めた後、特養に就職することとなりました。
面接担当者がいい人そうだし、給料もそこそこ良いし…
はじめの2ヶ月程は良かったのですが、ここも黒い事情が隠されていたのです。
その黒幕とは創立以来従事しているお局であり、棚母田の如く出世したスタッフです。
このお局は人を差別する稚拙な人間であり、気に入った人にはめっぽう優しい一方、気に入らない人に対する嫌がらせのスキルは右に出る人がいない程虐めのスキルに優れた人でした。
このお局の意見は非常に偏見があり、自分の好き嫌いで意見を大きく変えます。
どこに行ってもこういう人がいるのが仕方ないし、当時は三十路間近ということもあり、ここで折れたら大人の対応ではないと思ったのです。
当時の特養の管理栄養士の仕事と言えば、献立作成と発注という給食委託会社の栄養士と遜色しないものでした。
仕事は辛いけど…だったら何か自分に新しく身に付けられるスキルはないかと、この当時考えていたのです。
まず、自分の資格と関連性のあるフードコーディネーターについて学ぶことから始めました。
当時はそれほど民間資格の数は多くありませんでした。
管理栄養士と併せ持つと相乗効果があると思えるものはスクールに通って勉強したり検定を受ける等して、知識の幅を広めていました。
30代前半はこのように仕事の合間を縫ってはこっそりと自分磨きをしていまいした。
本音を言うと私には「資格を取得して、そのうちこの職場を辞めてもっといい所で働いてやる」という野心もあったのですが。。。
それなら国家資格であるケアマネも取れば万が一の時に逃げ場が作れる!
要は泥棒の掟というものですね。
とは言っても、当時は非常に就職難の時代。
非正規雇用か正規雇用となるとブラック企業で我慢するという究極の選択状態。
転職が無理ともいえる時代でした。
しかし、お局の嫌がらせは尋常ではなかったですね。。。
献立をこと細かくチェックして改善する必要性がないことまでもこちらの業務過失にかこつけて頭ごなしに暴言を吐き、物理的に実現不可能な仕事を押し付ける。
おまけに超我儘な利用者のことを甘やかして更に我儘がエスカレートした利用者から物凄い剣幕で苦情が出ていると訴えてきて、当該利用者から「これでもか」という位の暴言を吐かれました。
このお局は気に入らない人を陥れる為に周囲をも巻き込んで行うので、私を攻撃するスタッフは複数に渡るんですね。。。
よくこんな職場で耐えたなあ…と思うかもしれませんが、
私には敵がいる一方、理解してくれるスタッフもいたので何とか続けて来られたのです。
しかし、無理には限界があり私はついに身体を壊してしまいました。
体調を崩して1週間程休みを頂き、冷静に考える時間を与えられました。
この時、「私は無理をして頑張り過ぎたんだ」と思い、自分の心を解放しました。
そして、この特養を9年目にして退職することを決心しました。
その数ヶ月後に病院で働くことが決まりました。
この病院はこれまでと打って変わって人間関係に優れた職場で、私を受け容れてくれました。
あまりにも周りのスタッフが優しいので逆に戸惑ったところはあったものの、あの「お局」の考えかたは相当おかしかったと改めて思ったのです。
お陰様でこの病院では前の特養よりも長い期間働くことが出来ました。
しかし…
これ以上続けて話すとエンドレスとなってしまうのですが、栄養士の資格取得からこれまで従事してきた出来事は棘の道でした。
特に若い時は挫折したくなりました。
私の経歴は見事にブラックな経歴でしたが、ブラックではなくてもクセのある人間はいるし、就職することは思うようにいかない部分も多いです。
よく「給食委託会社は激務で酷い」ということを耳にしますが、「仕事は覚えていて損はない」と昔の上司の言った言葉に間違いはないと思っています。
せっかく栄養士や管理栄養士を取得して専門職として就職できたとしても、決められた範囲の成長では取り残されてしまいます。
自分が認められる為には能力を付ける為の努力が必要不可欠です。
「専門性を高める」「見解を広める」ことが専門家としての「柔軟性」を自ずと身に付け、人から一目置かれる存在に発展することに期待があるでしょう。