パワハラを受けやすい人のタイプはどういうタイプによくあるのか?
結論を言えば、「スキがある人」「感情をぶつけやすい人」「引っ込み思案な人」などが該当します…と言う人もいるでしょう。
表向きには性格に問題があるからと片づけられてしまうかもしれませんが、しかし…周りをよく見渡してみると…
物凄く内向的な人にも関わらずパワハラを受けていない人もいるし、かと言えば何かと不遇な人もいます。
…となると、パワハラを受けやすいタイプってちょっと判断のしようがないかと思いませんか??
三つ子の魂百までも
「三つ子の魂百までも」という諺をご存じかと思います。
この諺の意味は「小さい頃に培われた性格は、幾つになっても変わらない」ことです。
中にはこの諺を勘違いしている人もいるんですけどね。
3歳までに英才教育をすれば、その分野の天才に慣れるだろうと子供に期待をかける親がいるのです。
が、寧ろこれは子供にとって毒なんです!
それは、親が子供に期待する余りに、子供を束縛させることに繋がりますから…
もし、このように幼少時代の子供に期待をかけて親の都合によって子供をコントロールすれば、子供は「自分の人生は敷かれたレールの上で歩むしかない」と思い込み、自己決定することが出来ない大人に育ってしまいます。
「三つ子の魂百までも」という諺は、あくまでも「人格形成」において用いられる諺です。
これは、子供を肯定的に受け容れながら子育てするか、子供をまるで人形やロボットのように扱うかで、子供が持つ自己肯定感が大きく変わるのです。
子供は本当は母親が好き
毒親問題を抱えている人にとって「子供は本当は母親が好き」って言葉を聞くと、ゾッとするかもしれません。。。
でも、親から不当な扱いをされた子供が、親を憎むことは決して悪いことでもないんです。
大人になると忘れてしまう感情ですが、小学校低学年位までは、親に甘えたい年頃です。
思い起こせばその当時、母親に「ねえ…お母さん~」って甘えながら母親に話しかけていたなぁってことを思い出すでしょう。
これが、子供の年齢が小さければ小さいほど、母親を頼りにします。
特に産まれたばかりの赤ちゃんは母親に愛情を求めます。
泣いてSOSをサインするのもその表現の一つですよね?
しかし、子供は、生まれてきた以上、一人の人間なんです。
「自我」がありますし、親とは全く別のパーソナリティーを持った存在。
親の思うようにいかなくて当たり前なんです。
かつて、欧米で行われていた「子供を抱っこしない子育て」は、本来やるべきものではありません。
この子育てとは「抱っこは子供への甘やかし」というもの。
つまり、甘えることは良くない、甘えることは罪であり、子供の甘えを受け容れることは我儘に育ってしまい、一生自立心を育めないという価値観でもっての子育てです。
ところがこれは大きな間違い。
このように親から突き放されて育った子供は欲求を拒絶されるため、子供の心に深い傷を負わせます。
これが子供の人格形成において歪みをもたらします。
コミュニケーション能力が培われない。
学校での成績が思わしくない。
学校で友達が出来なく、周囲と孤立してしまう。
しかも、子供がこのようになってしまうと、親にとって恥になりますよね?
「〇〇さんの子供って友達いないんだねw」ということになってしまいます。
しかし、親は子供が発達障害だからということで話を治めれば保身に走れるかもしれません。
これはこれで更に子供を傷つけてしまいます。
この時、感情に任せて子供へ差別的な態度を取ると、更に子供との溝が深まります。
子供はこの時点で「自分は親に嫌われていることが確定している」と判断し、元々離れていた親との距離を更に離します。
それは、親に愛を求めることを諦め、その心は親への憎しみや逆恨みにシフトチェンジするのです。
この親と子のいがみ合いが敵対心を生み出し、お互いがお互いに憎む関係になります。
親は親で子供をボロカスに扱い、子供は子供で親に直接攻撃しても敵わない(親を怖がっている)為、話のネタは親の悪口ばかりとなります。
これは子供が親に対する逆恨みの現われであり、本当は愛してもらいたかった親に愛してもらえないという思いから発生した感情なんです。
「愛と憎しみは紙一重」とは、このようなシチュエーションにおいて用いられるもの。
しかし、ストーカーが言う「愛と憎しみは紙一重」は全く違うものであり、ストーカーはあなたを愛していませんからね。
愛情不足は自己否定感を植え付ける
世の中には、自信に満ち溢れていて堂々としている人もいれば、控えめで自信がない人もいます。
これを何でも血液型で判断する人がいますが、血液型が何型であろうと、精神的な虐待を受けた子供は自己肯定感が低くなります。
子供は元々、親から愛されたいという本心があります。
特に赤ちゃんは、母親とスキンシップを図ったり、抱っこされることがとても嬉しいのです。
一見母親になつかない子供でも、一番好きな人は母親なんです。
しかし、その子を一人の人間として尊重しない、子供の価値観を成績の良し悪しで判断する、子供を自分の思い通りにコントロールしたくて人形のように扱う…ということをやれば、子供は自分の価値が分からなくなってしまいます。
また、世間体ばかり気にして、子供が低学歴で大企業に就職出来ないことは恥だと思い込み、親の体裁を装うために子供を利用する育て方をしても、子供は自分の感情を押し殺すようになります。
更に子供に対して「あんたは全く駄目な子なんだからー!!」「ほーら言ったでしょ!あんたはお母さんの言うことをきかなかったから失敗したのよ!」「あなたは自分で自分の人生を選んだら絶対に失敗するわよ!だから年上の言う事は絶対に聞きなさい!!」という言葉がけをしたら、子供は「自分はダメ人間だ」と無意識に自分を呪うようになります
ここに「甘えは罪」という誤った信念が加わると、その歪みを加速させてしまいます。
パワハラの原因は呪い
呪いと聞いてビックリかもしれません。
この呪いは心霊スポットに存在する幽霊によるものではありません!とは断言できませんが、ないとも言えないことです。
それ以上に呪いとなるものは、強い自己否定感を植え付けられたその人本人の意識の奥に切り刻まれた「自分はダメ人間だ」という心。
この「ダメ人間」という無意識の領域に存在するネガティブな感情が次々と自分をねじ伏せていくことになります。
しかし、大元には「愛されたい」「認められたい」思いがあるので、「完璧な自分」「相手に尽くす自分 」を演じます。
この根っこには「自分のことが嫌い」という感情があるので、「完璧な自分」「相手に尽くす自分」というこれらの行動は、残念ながら相手に響かないどころか変に悪用されてしまうのです。
相手に尽くすことは決して悪いことではないのですが、その根端に自己否定感があると、これが裏目に現れてしまいます。
相手は「尽くす」ことを悪用して無理難題を押し付けてきたり、莫大な量の業務を押し付けてきます。
しかも「出来ない」と断れば上手く言いくるめられ、結局これらの面倒な業務を遂行するように仕向けられます。
しかも、周りの人間は「嫌なことを断らない性格に問題がある」「気が弱いから思ったことをはっきりと言わない」と評価するもの。
本当はこんなツライ業務を背負いたくないのに、やらざるを得ない現象を無意識に引き寄せてしまいます。
また、このような強い自己否定感が培われた人は、潜在的に「自分を守ってくれない」と認識しています。
この姿勢が傍から見ると「スキがある」ように捉えられてしまいます。
また、「甘えは罪」と認識しているので、人一倍頑張ろうとします。
「やる気がない」と言われれば、「自分は仕事に熱意がないからやる気がないと言われるんだ…だからもっと気合を入れて頑張らないと!」と思って無理をします。
パワハラを受けやすい性格は「責任感が強いから」「真面目だから」という目で見られがちです。
これは性格どうこうの問題ではないのです。
潜在意識の奥にある傷ついた心が、そうせざるを得ないシチュエーションを知らぬ知らぬの間に引き起こしているのです。
その結果、精神的に八方塞がりな状態に追い込まれ、強い責任を負わされ、完璧以上の完璧を求められています。
まとめ
パワハラを受けやすいタイプはその人の性格の問題であると判断するのは至って浅はか。
このような思わしくない事態を引き寄せてしまうのは、心の奥にしまい込まれた自己否定感が自らを呪っているからです。
周りの人間を見て、ついつい可愛がりたくなる人もいれば、いまいち馴染みにくい人もいるし、理由もなく好きになれない人もいます。
人によって何故このように各々の反応が現われるのか?
ついつい可愛がってしまう人は、大切にされて育ってきたから…だから人から可愛がられるのです。
一方、「いまいちこの人可愛くない」と感じる人や「苛立ち」を感じる人を見た時、あなたはどのような行動をとりますか?
この時、一歩立ち止まってみましょう。
意地悪をしたいと感じた相手は、幼いころに非常に辛い体験をしているかもしれません。
感情的に施すれば、当人を更に傷つけてしまいます。
こういう人程、大事にしてあげましょう。
愛情を施すことは、実践して損はありませんよ!